フリーアニメーター 田舎暮らし 

田舎で暮らすフリーアニメーターの日々を気ままに綴っています。

動画マンで退職してから原画マンになるまで

田舎生活を満喫しながらフリーアニメーターをしている人間の日々を綴っています。

 

前の更新からずいぶんと日が(月が)あいてしまいました。

3月から放置のこんなブログでも、ありがたいことに覗いてくれる人たちが居るようなので、ちょっと前向きな話をしたいと思います。

自分が会社を辞めてフリーのアニメーターとしてやってきて4年。

独り立ちしてよかった!と思うことしかないので、会社を辞めたいけど行動に移せないでいる人の判断基準になれば幸いです。

 

※アニメーターにとって理解できる程度の内容となっています。

一般の読者の方、読みにくくて申し訳ありません。

 

 

会社を辞めたい人に叫びたい!とかはできない。

残念ながら励ましの言葉や前向きなアドバイスは性格上できません。

どれだけ成功譚や綺麗事を並べても、結局は立場の違う他人の世界でしかないと思ってしまうからです。(自分が大成功しているとは言ってない←)

なので、ここでは自分が独立する前はどんな状態で、現在はどうなっているかの事実と、そのときの心境を記そうと思います。

 

※多少会社ヘイトがありますが、あくまで自分が在籍した会社の話です。

ステキな会社もあるはずです。きっと。絶対。

 

 

会社を辞める前・・・会社が辛い、アニメーターは続けたい

  • 会社で作画に没頭する上司たち、それに憧れろと言わんばかりの社風が古臭くて嫌いだった。苦労、徹夜、努力を尊ぶ社風に反吐が出た。
  • 仕事のストレスをそのまま態度に出すチェッカーが社会人として間違っていると思ったし尊敬できなかった。この人と仕事したくないから原画になりたいと思ったくらい。
  • 多趣味でアニメだけに生活を捧げるのは違うと思っていた。むしろ作画を副業的に続けたいとすら思っていた。もっと自由なアニメーターのスタイルがあるんじゃないか?と疑問に思っていた。
  • 入社から4年間も動画マンをやっており、度々試験で落とされ続けていた。
  • 次の原画試験で落ちたら辞めようというところまできていた。
  • 幼い頃からアニメ好きで、アニメの仕事が好きだし、大学出てこれしか社会経験が無いということもあり、会社を退いてもアニメーターをやっていたいと思っていた。
  • 原画昇格への情熱は薄く、万年2原で生活できたらな、と思っていた。

 

 

独立のために準備したこと(2月)

  • なるべく波風立てず穏便に辞めること。本当は会社が居心地悪くて仕方なかったけど、他に志す道ができたから応援して下さいという形(嘘ではない)で辞職を切り出した。※
  • キリ良く3月一杯で辞職する。

※地元に帰らず会社の近所で暮らし続けることを選んだため。

 

 

休職の間(4月ー7月)

  • めっちゃアニメ見まくった。旧作4クールも3日で見るようなペースでここぞとばかりに見まくった。
  • 新しいパソコンを買ってゲームしまくった。
  • 無職になって4ヶ月ほど経って、変な汗が出てきた。

 

 

仕事を探さないとやばいな期(7月)

  • 休むだけ休んだら冷静になって、仕事したくなってきた。しないとやばい衝動がでてきた。
  • 作画は好きだし、画力はさほど自信が無いのでやっぱり2原ばっかりやって生活出来たらいいなと思っていた。
  • 動画には別に情熱とかなかった。とにかく2原やってみたいと思った。
  • 仲の良い制作さんや演出さんなんていない。だって動画あがりだから。会社も隔絶されていて社内=アニメ業界の全てだったから。
  • 前の会社では2原ですら資格が必要で全くやらせてもらえなかったけど、普通はある程度動画の経験があれば2原をやらせてもらえるらしいということを社内で耳にしたことを思い出す。

 

 

最初の仕事の獲得(7月)

  • 今放送中のアニメで自分が好きな作品を選んで、ホームページに載ってる「お問い合わせ」にメールした。「御社の作品〇〇がやりたいです、どこの会社で何年仕事をしてました。」というような就活メールのような文章。
  • 2社連絡を取り、2社ともお試しで仕事を振ってくれた。1社だけダメ元でいきなり2原を聞いてみたが、未経験でもあっさり仕事をくれた(というか国内に動画を蒔くスケジュールが無かった)。
  • まだカット袋に入ってない仕事をはじめてする。
  • 兼用カットが2cut分だと知る。

 

 

会社を辞めたいと思い立ち、そして最初の仕事を貰うまではおおよそこんな具合でした。

では4年経った現在、どんな風に仕事をしているのか?

そこに至るまでを簡単に振り返ってみます。

 

 

仕事が無い時期がくる(8月ー10月)

  • 2社とのやり取りでスケジュールに隙間ができ、イライラする。会社に届いた動画を描いて出せばよかった時は知らなかったが、スケジュールは絶対ずれ込む。来ると言っていた時期にスケジュールを空けているのに、その通りに仕事がこない。
  • 遅れの程度は作品や会社によって違う。なのになぜかいつも重なる。なぜだ。

 

 

2原を続けてたら原画マンになった(12月)

  • 会社内で携帯番号をまわされる。
  • 別にやりたくもなんとも無かった動画は、2原が増えると同時に取らなくなる。
  • 大事な2原を任されて、しかも単価調整をしてもらう。カットに「丁寧な人に」と書かれたカットをよくもらうようになる。
  • なりたくも無かった原画マンになる。先方曰く、「この2原(あがり)なら原画できるんじゃないでしょうか」。
  • 誰にも相談できない環境で、ひとりで悩み、ひとりで調べる仕事も自分の成長が見えてやりがいを感じる。

 

 

取引先を増やす

  • 隙間を埋めたい、懐かしの好きな作品の続編が作られる、色々な理由で取引先を増やす。
  • 知らない会社からも電話がかかってくる(何かのリストに載ってしまったらしい)。

 

 

取引先を増やし、携わる作品を増やしながら2原ときどき原画を1年間ほど続けていました。

会社で働いていたころは原画マンになるための試験をクリアすることが絶対条件でしたが、ある程度丁寧な2原が描ければ原画をやらせるという会社も珍しくないのかもしれません。

 

以下、個人統計で偏りがあると思います。

  • 2原始まりで先方から原画の声がかかったスタジオが2社
  • 「他社で原画経験があります」と言って原画をさせてもらえるようになった会社が1社
  • いきなり原画を頼まれた会社が2社※

※いきなり原画を持ってきた会社は、1件が前にお世話になった制作さんの転職によるもの、もう1件が個人情報の漏洩によるものです。

 

 

独立から丸4年、成長を実感する出来事の到来

なんと、動画上がりでやってきた自分が版権絵を頂きました。

制作さんは口々に「いつも丁寧な上がりをありがとうございます」と言ってくださるけど、もうテンプレというか社交辞令というか、実感として高評価をいただいているという自信がありませんでした。

 

それが、実際に限られた人にしか回ってこないような特別な仕事をいただいたことにより、とても確かな自身につながりました。(ちょっと図に乗っています)

※版権絵

雑誌やDVD予約特典、CDジャケットなど出版物やグッズに使用される絵。

ボーナス。 

 

 

課題は山積み

作打ち(電話打ち)が下手だったり、苦手な演出さんができたり、取りたい仕事が手詰まりで取れなくなっていたりします。

初めは作品で選んだ会社ですが、今は中の人たちと一緒に仕事をしていくという感覚が分かってきて、好みの作風ばかりを手がけるわけにはいかなくなって来ていたり、仕事を詰めすぎて趣味の時間や勉強の時間が減っていたり。

(1日5時間くらいしか仕事してませんが)

 

 

今後もちょっとずつ調整しながら、自分のやりやすい形で長く続けていけたらと思っています。

現在はクリップスタジオを勉強中。試用期限が過ぎてコンビニにお金払いに行かないといけません。